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2008/06/08

結婚の意義って・・

今朝新聞を読んでいて見つけた記事から。

イタリアのヴィテルボにて2ヶ月ほど前に交通事故で半身不随になってしまった若者とその婚約者が教会式にて結婚を認められず、昨日民事婚にて結婚式を挙げたことについて書いてあります。

交通事故の影響で生殖能力を失ってしまった新郎に対し、教会の教義に反するとして結婚を認めなかった神父の判断に対し、新郎新婦は勿論ながら、参列した家族、友人たちはどのように感じたのでしょう。

もっと人道的な慈悲があっても良かったのではないでしょうか。

昨日の市役所での結婚式には彼らが結婚するはずだった教会の教区司祭も参列。2人の門出を祝福しています。

しかしながら、司教区のコメントでは決して教会式に立ち会った神父の判断を否定してはおらず、共有するとしており、カトリックの教義に沿ったもので、個人的に判断したり、故意に受け容れられるものではないとしています。

それではカトリックがいう結婚の意義って何なのでしょう。子供が出来なければ結婚する資格はないというのでしょうか。彼の場合、たまたま交通事故がきっかけで生殖能力を失ったという決定的な事実があったにせよ、苦難を強いられた一人の信者をこのような形で否定する了見の狭さにちょっと頭に来ました。

大体2000年前に生まれた宗教の教えが生活の変化と共にいろいろとそぐわない部分が出てくるのは当然のこと。それならば、その教えの解釈を変えるなりする必要もあるのではないでしょうか。

クリント・イーストウッドの映画、”ミリオンダラーベイビー”の中でも、最後尊厳死、安楽死のテーマが出てきますが、そこでもカトリック信者のトレイラーがカトリックの教義と現実との間に苦しむ姿が描かれてましたが、その中でも神父は何も彼に対し具体的な助言を与えることなく、最後彼は自分の意思で安楽死の幇助をします。

この手の問題はとてもデリケートなものであり、カトリック信者でない私がごちゃごちゃいうと罰当たりかもしれませんが、体にハンディを負った人間こそ宗教に救いを求めたり、受難を受け容れる意義を求めたりするものではないのでしょうか。でもそれは全て神任せで信じるものが救われるというのでしょうか。

うちのダンナの家族は敬虔なカトリックですが、彼のお姉さんは身障者で自分の身に起こった不幸を受け容れるのに人一倍宗教に頼って生きてきていました。

それだけに義父が亡くなった時に、自分の人生の中で数少ない頼れるものを”神が奪った”という意識が湧き、その後教会には行きたがらなくなりました。そして亡くなって4年余りの歳月が流れた今でも未だに現実をなかなか乗り越えられない彼女がいます。

神様に与えられた苦難としてのみ、自分の身の不幸を受け止めていなかったら、ちょっとアプローチが変わっていたのでは? 現実を直視し、諦めずに小さな時からリハビリをしていたら状況が変わっていたのでは?と不憫に思うのです。

なんだか脱線してしまいましたが、それぞれの宗教の教えには一杯学ぶところがあると思うし、そういう部分はきちんと受け容れながらやっていけばいいと思っています。

しかしながら、現代のように医学も発達し(少なくとも紀元前よりは・・・)、近代化にともなう新しい問題なども出てきた中でのいろんな出来事を解釈するのに、理不尽に古いルールのみを適応するのではなく、きちんと人道的な部分も考慮してトータルでバランスの取れた判断を下してもらえるような懐の広さも必要だと思うのです。

ローマ法王によってもいろんな教義の解釈が変わってくる部分もあるとは思うのですが、自分の出世や他の司教たちの目を意識して融通の利かないこのような了見の狭い神父は許せないのです。彼自身が生殖不能の事実に目を瞑り、結婚を祝福することは出来なかったのか。。。Peccatoとして彼自身が神の許しを請う形で片付けることは出来なかったのか。。。

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コメント

今は全く付き合いのなくなってしまった友人ですが、10年以上前に結婚し、2卵生の双子を妊娠しました。
検査で2人のうちの1人が普通(と言う概念もどうかとは思うけど)ではないことが判明したのだけど、カラブリア出身の2人は敬虔なカトリックということもあり、そのまま出産することに。
今から5年位前に偶然カラブリアで会ったのだけれど、1人の子は車椅子で、少なくとも私の目には知的にも同年代の子供にはみえませんでした。
障害者であることが必ずしもマイナスになるわけではないのかもしれないけれど、こういう考え方って、本当にみんなを幸せにしているのか、って考えてしまいました。
難しい問題ですよね。

投稿: kinuko | 2008/06/08 20:44

おぉ、実はあたくすもコレ書こうと思って下書きまでしたんだけど、あたくすのブログらしくないからどうしようか悩んでたところだったんです。

あのね、この青年は実はあたくすの職場のオーナーの息子なの。で、結婚式にはあたい達夫婦も招待されていたのです。
本当にいい青年でね、婚約者もステキな人でね、6月の結婚式を心から楽しみにしていたんだけど、事故になっちゃて。。。で、コムーネでの結婚式は身内だけでしたみたいなんだけど、オーナーが教会の出方に怒り心頭で新聞に載せたみたいなんだよね。
あたしも、宗教そこまで詳しくないので責めるつもりはないけど、人が崖っぷちに立った時に頑張ろうって思えるように支えになってくれるのが宗教ってもんじゃなかったの?ってびっくりしちゃいました。
なんか、おかしいよね。
それもね、彼、まだ完全に今後も下半身不随になると決定したわけではなく、若いし今後のリハビリでは麻痺が治る可能性もあると言われているのよ。
しかし、本当に身近で起ってしまったドラマのような出来事にびっくりしたのと、かわいそうなのと・・・
事故を起こしたりするようなそんな軽い今時の青年ではなく、本当にしっかりして落ち着いた彼だっただけに、未だにショックです。。。
でも、彼女がそれでも一緒にいよう!と決めて結婚したというのだけが救いかもしれないな。。。

投稿: gellius | 2008/06/08 22:11

KINUKOさん

宗教心が強い余りに先天性の重病があると分かっていながら中絶できない人って結構いるんでしょうね。特に南のほうだと。

でも実際に障害を持った人たちを見ていると子供も苦しむし、親も苦しむし難しいですよね。

確かに五体満足でなくてもある程度自分の生き方を選べる人はいいけど、残念ながらそのレベルの障害の人ってなかなかいないと思うんですよね・・・

そして歳取って順番では親は先立ってしまうことが多いと思うのですが、その時に残される者のこととかいろいろと考え始めるときりがないですよね。

私は生まれてくる子供の幸せを考えたら重度の障害児は産めない気がします。

投稿: Aya | 2008/06/09 09:00

gelliusちゃん

この男性、そんなに近い存在の人だったのね。。。
でもこの記事を見て、宗教の偽善を見た気がしたのよ。
事故で障害を負ってただでさえ大変な時に、逆境に向って新しい人生を歩む勇気を持った若い2人に対し教会は結婚を認められないってどういうこと~???って誰でも思うよね。ほんと、なんのための宗教なのかしらね!
新郎のお父様の怒り、本当にただものではなかったと思うわ。こうやって社会に問いかける勇気を持ったお父様も偉いわ。

教区司祭もコムーネに立ち会ったみたいだけどさ、どうせ結婚を認められないのであれば、のこのこ出てくるなって思ったのは私だけかしら?
どう見ても対外的に教会のイメージが悪くなるのを恐れただけとしか思えないのよ。

何はともあれ、若い2人の門出、祝福したいと思います!
リハビリで麻痺が治る可能性があるとのこと、頑張って少しでも動けるようになることを祈っています。
そして新婦の心広い勇気ある決断、そして包容力にも拍手を送りたいわ。

うちのダンナの友人も挙式直前に男性が交通事故で大変な目に遭い、それこそ障害が残る可能性を示唆され、一時は婚約回避したほうがいいのでは?と大分彼女は家族や親戚に促されましたが、最終的には1年遅らせて結婚、今は子供も出来幸せに暮らしています。
オーナーの息子さん夫婦に素敵な人生が待ってますように!


投稿: Aya | 2008/06/09 09:14

私はミッション系の学校でカトリックの洗礼を受け、東京の四谷にある教会やクローチェ・ロッサ関連でボランティアもしていたのですが、その頃から教会と聖書との間のギャップに悩んでいました。
現在は、自身はカトリックと思っていますが、教会には行かないし勿論現法王の事も尊敬も彼の言うことを信じようなどとは微塵も思っておりません。完全な「無教会主義派」の信者です。宗教とはその人の最後の地点に寄り添うものであるべきで、お金持ちや何もかもが揃った人のために有るものでは決してないと思うのです。
が・・・前法王と違い、身にまとう法衣までもレオ10世の模倣だとか16世紀の再現だとか、そういう外見にのみこだわる現法王の下では、こういう事が起こるのがわかるような気がします。

Gelliちゃまも・・是非書いて頂きたいわ。

投稿: ihoko | 2008/06/09 09:43

全くひどい話だわ。事故を起こして拠り所にしていた教会からこんなひどい仕打ちを受けるなんて。

Ayaちゃんの言うこと、うちの主人も常日頃言ってるよ。2000年前にはこの方針でよかったのかもしれないけど、人も進化するし、ライフスタイルも変わる。でも、教会だけは変わらない。
もし事前に分かるのであれば、あらかじめ障害を持った子をあきらめるというのは、実際育てる親からすれば、当然の権利だと思う。何も、好きであきらめるのではなく、将来のその子の事を考えると、そういう決断をせざるをえないという事を、教会は分かってくれない。親が先立ったあとの子供の面倒を教会が見てくれることは決してないくせにね。

でも、とにかく、このお二人が無事結婚できてよかった。
教会婚がどうこうよりも、大切なのはお二人の愛情、そして、幸福ですからね!

投稿: Riccia | 2008/06/09 10:38

一番苦しい時に、救って・・・とまでは言わないけど、心を支えてくれるものが宗教であって欲しい気がするのにね・・・
私、正直キリスト教、イスラム教、他いろんな宗教の深い部分はよく分からないんだけど、それで戦争が起こったり今回のような理不尽な出来事が起こったりするのを見てると、宗教の存在の意味って何?とよく考えます。もちろん別の意味では救われてる人も沢山いるんだとはわかっているけど・・・
無宗教に近い典型的な日本人の考え方かしらね・・・
苦しい時に刺激を受けた啓発本とか、八百万の神とかの方がよほど自分を救ってきてくれたような。単純すぎるかな。
話がそれてしまったけれど、このお二人、ほんと幸せになって欲しいね。こんなつらいことを乗り越えるんだから、人一倍の幸せ待ってるね。

投稿: パーゴラ | 2008/06/09 10:46

ihokoさま

カトリックの教えを受けた方であれば、きっと尚更、今回の教会の決定に理不尽さを感じられるのでは?

おっしゃるとおり、宗教の役目ってその人の最後の地点に寄り添うものであるべきだと私も思うのです。

教会の権威とかつまらないことでこのようなステレオタイプな最悪の判断が下されたこと、悲しく思います。

ihokoさんが無教会主義を取られる姿勢、間違ってないと思います。
私は基本的に無信教といってますが、それは教会にしろ、いろんな宗教団体にしろ、最後にちらつくのが権威と金みたいなのが嫌いだから。哲学の授業でいろんな宗教家の教えも学びましたが、それぞれ生きていく上で大事な考え方があるし、いい部分はきちんと吸収したいと思うんですよね。

教会にしろバチカンにしろ、イエスキリストが見たらどう思うのでしょう?

Mother Teresaのように貧しい人や病気で苦しむ人たちに献身するのが真の聖職者の姿であると信じていますが、ほんと今のバチカンではますます遠のいていきそうですね・・・

投稿: Aya | 2008/06/09 11:40

Ricciaちゃん

ほんと、心無いことが起こるなんてビックリだよね。それも苦しむものを本来であれば精神的に支えるべき聖職者がこれだもの。

ほんと、時代の流れに逆行している教会の頑なな姿勢って無理があると思うのよね。こういう教会の姿勢に段々矛盾を感じる人間が増えているから、ヨーロッパよりも比較的に貧しい中南米に目を向けている信者獲得に意欲を見せている教会の姿勢って、また頭に来るのよね。
ある意味”無知”な人たちを捕まえて、自分たちに都合の良い信者の数を増やすのって本末転倒だと思うのよ。

中絶の問題にしろ、頑なな姿勢を示すことが多いバチカンだけどさ、ほんとそういうなら最後まで責任持てるのかといいたいわよ。レイプで妊娠した人とか、先天性の重度の障害児とか・・・
ダンナのお姉さんは小児麻痺で後天的なものだったんだけど、それでも何度も自分の生について疑問を持つみたいだよ。そしてどうして自分が結婚できないのかと妹達が結婚する時には凄かったみたい。いろいろと難しいことって一杯あるよね。

この若い2人がこれから幸せになってくれること、本当に祈りたいと思います。そして、リハビリで少しでも状況が好転することを祈るばかりです。


投稿: Aya | 2008/06/09 12:36

パーゴラさん

ほんと、宗教は心のよりどころであって欲しいよね。

宗教が戦争になるのって本当に日本人には理解しがたい部分が多いよね。でも結局は宗教はただの戦争の口実でしかなくって、一握りの権威者のエゴのために罪のない信者たちが利用されているとしか思えないんだよね。

今回のように懐の浅い見解しか教会が下せなかった姿勢も結局はみんなバチカンの奴隷みたいで、権威あるものにそむく勇気がなかっただけだと思うのよ。そのくせ、民事婚に参列してここぞとばかりに表面を繕うような計算高さも嫌。

だけど、苦労を乗り越えるのは本当に信じるだけではダメだよね。信じると同時に本人の努力も必要なはず。

信仰は基本的にいいことだとは思うけど、望みある限り信仰が逃げであって欲しくないと思うし、理不尽なことはきちんと考える必要があるし、障壁は乗り越えるべく努力も必要だと思う。

確かに若きカップルはこのような試練を与えられた上、本当だったら幸せに結婚する予定も形が変わり、言葉では言い表せないようないろんな気持ちが錯綜したと思うんだ。

でも長い目で見れば、屈辱を味わい、怒り、悲しみを経験した分、現実をしっかりと受け止めながらしっかりと人生を歩んでいくきっかけになったのかもしれないなともちょっと思ったよ。

辛い経験を乗り越えた分、きっと包容力のある素敵な人間に成長して幸せな人生を送ってくれることだと信じています。

投稿: Aya | 2008/06/09 12:53

宗教とのかかわりってホントに難しいですね。
私も聖歌隊のお仕事をさせていただいて、自分と宗教との距離感、というのも感じるときがあります。

体に不自由を感じその救いを求め、心に不自由を感じその救いを求める、、色んな形はあると思います。
しかし、その教えと人道的な道徳感とを、本人がしっかりもっていないと、とんでもない方向にいってしまうのも宗教なんだな、、とこの世の中をみていても思います。

ホントに難しい問題ですね。
お二人が、お幸せになってくれるといいですね!

投稿: keiko | 2008/06/09 20:28

何だか何回も読んじゃったわ・・・私も“無宗教”な人間だけど・・・やっぱりどう考えてもおかしいよね。何だか、画一的であんなに分厚い聖書があるのに、薄っぺらい感じがするわ。しかし、教区司祭、民事婚に何で参加してるの?宗教的には受け入れられないけど、人間的にはお祝いしたいって事!?意味不明~!!
書けば長くなるから書かないけど、私教会婚もしてるのね。その時にいろいろと司祭さんと面談とかたくさん(!!!)あるんだけど、泣いたり考え込んだりもしたよ。で、その手続きの面倒なこと、面倒なこと!はっきり言って、意味のない書類もめっちゃくちゃあると思うけど、それも昔からの慣習で続いてるのよね、きっと・・・
話はそれたけど、本当に結婚を決めた新郎新婦に拍手。障害が治癒できて、幸せな家庭が築ければいいね。

投稿: くみこ | 2008/06/09 23:44

Keikoさん

>その教えと人道的な道徳感とを、本人がしっかりもっていないと、とんでもない方向にいってしまうのも宗教なんだな、、とこの世の中をみていても思います。

本当だよね。私も宗教に傾倒しすぎる怖さってこれだと思うのよね。完全に依存関係が出来てしまい、救ってもらえるのはそれだけと思い込んでしまうこと。

若い2人がこれから先幸せな道を歩んでくれることを祈るばかりです。

投稿: Aya | 2008/06/10 07:57

くみこさん

ほんとに・・・人道的な観点から言えば、結婚を否定なんか出来ないし、むしろ、2人の勇気ある決断に対しエールを送ってもいいくらいだと思うのよ。イタリアの教会はどうしてもバチカンの目を気にするんじゃあないの?

教区司祭、私は事態が大きくなるのを恐れて、教会のイメージアップのために参列したとしか思えないのよ。尤もどういう衣装で参列したかとかも分からないけど。。
でも教会として結婚がかれらの定義するものでなければいけないのだったら、意志を貫いてのこのこ出てくるなって言いたいわ。

くみこさん、教会婚したんだね。。。うちは無信教の私の意志を尊重してもらって民事婚で済ませました。
尤も彼の家族は最愛の息子の教会での晴れ姿見たかっただろうけどさっ。
でも手続き、本当にいろいろとやっかいなんだね。。
昔からのしきたりを重んじること。確かに大事な部分もあるかもしれない。でも、時代の流れに適合していくこともきちんとした目をもって生きていく上でとても大事なんじゃないかしら?

ほんと若い2人には屈辱を味わった分、何倍も幸せになって欲しいわ。本当に麻痺が緩和して普通の生活に支障がないような暮らしが出来るといいよね。

投稿: Aya | 2008/06/10 08:08

びっくりしましたthink
宗教は判らないのですが…。
神様は全てを許して下さる方と信じていますheart

投稿: ロコママ | 2008/06/10 11:04

ロコママさま

日本のようにいわゆる格好だけでチャペルでの結婚式をする国では毛頭ないので、何かとカトリックの重圧がいろんな儀式に圧し掛かる部分があるのは事実なんですよね。ここの国はバチカン支配が凄いんですよ。
連日のテレビを見ていてもバチカンや法王が特別な存在なのはすぐに分かります。日本の皇室と同じような感じでしょうか。
今回のは1つの例でしたけど、宗教の思想が一部の権威者のために自由なものでなくなるような気がして怖い気がします。

投稿: Aya | 2008/06/10 11:39

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